メルヘン…事情は知らぬが仏ですよ! 倉敷駅北口
4月29日の17時過ぎ、「観光」とするにはあっさりと、倉敷・美観地区を歩いた。
その前、北口の写真でも撮っておこうと、駅の自由通路を抜け、出た。
いかにも女子の観光客が多い倉敷ではあるが、なにこのメルヘン。
平成の不動産開発を知らないと、意味不明です。
クラボウの工場跡地を再開発し、テーマパーク「倉敷チボリ公園」を作ったまではいいが、ずさんな経営に、来客数の減少が重なって閉園した。チボリ公園は消滅したが、ビミョーなところに残骸が残っている。そんなところです。
【券売機前】

まずは、券売機前。
昭和の日の祝日・4月29日の夕方だったので、観光客が帰らんと、切符を買い求めていた。
客層は、10代、20代が中心だった。たぶん、美観地区にやってきた帰りの面々だな。
【電光掲示板】

列車の案内がしっかり出ている。
これだけでは、何の面白味もない。
「岡山駅経由」とわざわざ表示させたり、電光掲示板の下に「3・5番のりばの列車は、すべて岡山駅に停車します」と、岡山駅をことさら強調している。
姫路に向かう途中に岡山駅があることを、知らないような観光客がざらにいるための対処策と思われ…
関西や東京からやってくる観光客は、新幹線を使って岡山駅経由で来る人がほとんど。新倉敷駅からでは、無駄に手間が掛かるだけ。
したがって、こんな案内でも出さないとやっていられない。
広島←新倉敷=(9.3km、8分)=倉敷
倉敷=(15.9km、14分)=岡山→大阪
の並びである。西に位置する広島、山口、九州からの客だったら、新倉敷からやってきても不思議ではない。
【北口1】

北口に出てみた。
ペデストリアンデッキがどんとある。
視界に入ったのは…なに、このメルヘンの世界。
円形に縁どられた歩道橋。真中には時計台。
観光客と思しき女子2人組(女子大生かOLあたり?)に、時計台をバックに写真を撮ってくれと、iPhoneを渡される始末だった。写してあげたのだが、使い方がよくわかってないので、調整の仕方がイマイチわからず、ビミョーな感じになってしまった。スミマセン。
【北口2】

ぐるりと180度回って、駅の反対側へ。
駅舎もメルヘンだわ。
ただし、メルヘンを押し通せたのは北口まで。ホームの向こう、南口の駅ビルがドンと構えていることまではどうにもならない。
看板にはしっかりと、「アンデルセン広場」と記されるとともに、9時から21時までの正時(平日7回、休日は10回。毎正時ではない)からくり時計になることの説明が記されていた。
【北口3】

北口駅舎をアップにしたもの。
【北口4】

駅の南北通路前をアップにしたもの。
たぶん、もともとあった北口の駅舎に、メルヘンな構造物がつけたされたものと思われる。
左上の「JR倉敷駅」に違和感を感じる。
【北口5】

さらに、北口の屋根の下に、無意味に大きい「倉敷駅」の文字が。
なに、このへんなプレート。
ちょっと調べてみると、つけたしの結果だったと分かってしまう。
現在の北口ができたのが、1981年である。
そこに、倉敷紡績の工場が立ち退き、跡地に1997年開園の倉敷チボリ公園を建設した際、陸橋を付け加えた結果、【北口4】【北口5】のようないびつなものを生じさせる結果になっただけ。撤去しなくても、利用者は誰も困らないのでそのまま…
倉敷駅プレートが、不本意な遺物と化してしまったわけです。
倉敷駅北口がなんでメルヘンかって?
現存するアリオ倉敷(セブン&アイの商業施設)向けに作ったわけではない。
1997年に開園した倉敷チボリ公園に合わせて、作られたものだ。
開園当初は賑わっていたが、徐々に客足が落ち、運営継続を断念して閉園した。その跡地に建てられたのが、2011年秋にオープンしたアリオ倉敷、三井アウトレットパーク倉敷、倉敷みらい公園。北口の正面にあるのがアリオ倉敷。
ただし、アンデルセン広場は取り壊されなかったため、本来の設置目的がなくなっても残っている形。
現代の遺物と化してしまっている。
余計な話だが、倉敷ではセブン×イオンのSC戦争が来る広げられている模様だ。セブンは【北口1】のからくり時計の向こうに見えるアリオ、イオンは駅から西に1kmのイオンモールとなる。
その前、北口の写真でも撮っておこうと、駅の自由通路を抜け、出た。
いかにも女子の観光客が多い倉敷ではあるが、なにこのメルヘン。
平成の不動産開発を知らないと、意味不明です。
クラボウの工場跡地を再開発し、テーマパーク「倉敷チボリ公園」を作ったまではいいが、ずさんな経営に、来客数の減少が重なって閉園した。チボリ公園は消滅したが、ビミョーなところに残骸が残っている。そんなところです。
【券売機前】

まずは、券売機前。
昭和の日の祝日・4月29日の夕方だったので、観光客が帰らんと、切符を買い求めていた。
客層は、10代、20代が中心だった。たぶん、美観地区にやってきた帰りの面々だな。
【電光掲示板】

列車の案内がしっかり出ている。
これだけでは、何の面白味もない。
「岡山駅経由」とわざわざ表示させたり、電光掲示板の下に「3・5番のりばの列車は、すべて岡山駅に停車します」と、岡山駅をことさら強調している。
姫路に向かう途中に岡山駅があることを、知らないような観光客がざらにいるための対処策と思われ…
関西や東京からやってくる観光客は、新幹線を使って岡山駅経由で来る人がほとんど。新倉敷駅からでは、無駄に手間が掛かるだけ。
したがって、こんな案内でも出さないとやっていられない。
広島←新倉敷=(9.3km、8分)=倉敷
倉敷=(15.9km、14分)=岡山→大阪
の並びである。西に位置する広島、山口、九州からの客だったら、新倉敷からやってきても不思議ではない。
【北口1】

北口に出てみた。
ペデストリアンデッキがどんとある。
視界に入ったのは…なに、このメルヘンの世界。
円形に縁どられた歩道橋。真中には時計台。
観光客と思しき女子2人組(女子大生かOLあたり?)に、時計台をバックに写真を撮ってくれと、iPhoneを渡される始末だった。写してあげたのだが、使い方がよくわかってないので、調整の仕方がイマイチわからず、ビミョーな感じになってしまった。スミマセン。
【北口2】

ぐるりと180度回って、駅の反対側へ。
駅舎もメルヘンだわ。
ただし、メルヘンを押し通せたのは北口まで。ホームの向こう、南口の駅ビルがドンと構えていることまではどうにもならない。
看板にはしっかりと、「アンデルセン広場」と記されるとともに、9時から21時までの正時(平日7回、休日は10回。毎正時ではない)からくり時計になることの説明が記されていた。
【北口3】

北口駅舎をアップにしたもの。
【北口4】

駅の南北通路前をアップにしたもの。
たぶん、もともとあった北口の駅舎に、メルヘンな構造物がつけたされたものと思われる。
左上の「JR倉敷駅」に違和感を感じる。
【北口5】

さらに、北口の屋根の下に、無意味に大きい「倉敷駅」の文字が。
なに、このへんなプレート。
ちょっと調べてみると、つけたしの結果だったと分かってしまう。
現在の北口ができたのが、1981年である。
そこに、倉敷紡績の工場が立ち退き、跡地に1997年開園の倉敷チボリ公園を建設した際、陸橋を付け加えた結果、【北口4】【北口5】のようないびつなものを生じさせる結果になっただけ。撤去しなくても、利用者は誰も困らないのでそのまま…
倉敷駅プレートが、不本意な遺物と化してしまったわけです。
倉敷駅北口がなんでメルヘンかって?
現存するアリオ倉敷(セブン&アイの商業施設)向けに作ったわけではない。
1997年に開園した倉敷チボリ公園に合わせて、作られたものだ。
開園当初は賑わっていたが、徐々に客足が落ち、運営継続を断念して閉園した。その跡地に建てられたのが、2011年秋にオープンしたアリオ倉敷、三井アウトレットパーク倉敷、倉敷みらい公園。北口の正面にあるのがアリオ倉敷。
ただし、アンデルセン広場は取り壊されなかったため、本来の設置目的がなくなっても残っている形。
現代の遺物と化してしまっている。
余計な話だが、倉敷ではセブン×イオンのSC戦争が来る広げられている模様だ。セブンは【北口1】のからくり時計の向こうに見えるアリオ、イオンは駅から西に1kmのイオンモールとなる。
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