時間が止まってしまったかのような、南海汐見橋駅(その3)
阪神高速道路の高架下で見た、最低限の補修以外は老朽化に任せる汐見橋駅…悲しいものがあった。
「阪神優勝だぁ」と道頓堀に許されない飛び込みをしやがった輩、「さやねぇだぁ」と胸に飛び込むことを許されない輩、難波の高島屋や心斎橋の大丸、道頓堀やアメリカ村などへ向かう面々、船場の繊維街等へ向かう勤め人…の多くは、用がないのでやってこない。
オリックスバファローズの本拠地で、高校野球開催時には阪神タイガースの試合も行われる京セラドーム大阪に向かう客の多くも、駅の配置からやってこない。京セラドーム大阪の地盤問題から、縦ノリが発生する恐れが高いコンサートは開催されなくなったので、「さやねぇ」がありえないばかりか、「まゆゆ」も「さしこ」も「じゅりな」もありえない。ももクロもありえない…この辺をわざわざ書く必要はない。
縦ノリが発生しにくいSMAP、嵐、KAT-TUN、サザンオールスターズ、福山雅治、EXILEなどの公演は普通に行われるが、客のほとんどは大阪環状線の内側にまでは歩いてこない。難波に向かう者は阪神なんば線に乗ってしまうので「汐見橋、What?」でおしまい。
周辺住民が、汐見橋支線を使う場合しか使われそうもないところに、代用路線が厳然としてあるので、存在感が無くなってしまっているのが汐見橋駅である。
阪神高速道路の高架下の反対側にあたる、オートバックス側で見られるかなと思って、そちらにも行ってみた。
オートバックスの店舗前を回ってみたら、店舗の上が青空駐車場のような形になっていた。
車が駐車場へ上がるスロープがあった。
一般に、駐車場そのものへは立ち入り禁止なんてことはありえない。
スロープ前に「立ち入り禁止」とする看板もなければ、プラスチックチェーンのようなものもコーンのようなものもなかった。
そんなことで、スロープを上って、駐車場の中に入ってみた。
午前8時を少し過ぎた時点で、オートバックスはまだ営業開始前だったからか、駐車場にも人の気配はなかった。
線路に面する側に向かったら、眼下にホームが…
しばらく撮影することとなった。
撮影していた間、自分の周りには誰もやって来なかったことも、付け加えておきます。

まずは、ホームの改札方向を撮影してみたもの。
よくある始発駅の光景である。
ホームには、視覚障害者用ブロックが埋め込まれている。これは駅として当然だ。

やってくる電車待ちの客がベンチに座って待っている。
寝ていそうなおばちゃん、スマホに目をやっている女子高生…よくある光景である。
はす向かいの男性…どこぞのサラリーマンかと見えてしまうが、他の写真を合わせて見てみたら、スマホ女子高生と同じ高校の生徒の公算が高いと分かった。
汐見橋支線沿線の高校には、府立泉尾高校、府立西成高校ぐらいしか見当たらないが、HPから泉尾高のシャツは白、西成高のシャツはブルーとわかったので、西成高校の生徒と絞り込めた。

ホームの屋根に取り付けられた標識信号である。
そこに取り付けられた「出発反応標識」と書かれた鉄板が時代の経過を表している。
少なくとも21世紀のものではない。平成のものでもない。

電車がやってきた。2両編成だ。
少なくとも、電車のペイントには古さを感じない。

下車した客が改札口へ向かい、ホームで待っていた客が乗車しようとしていた。

ベンチは、遠くから見るとアングル次第ではいい感じなんだが…
実際には使用に耐えるものではあるが、ビミョーに古さ、経年劣化が出ている。

さっきまで女子高生が座っていたベンチの全体が見えた。
パチンコクイン
紳士の憩い場…
当駅西向いTEL(53)9360
普通は「パチンコ屋なんてねーよ」ぐらいでおしまい。
西向かいにあるのは、オートバックス・なにわ店である。
2014年11月に17周年セールなので、開店は1997年。それも11月あたり。
オートバックスの店舗は、そんなに古さを感じないので、開店のために建てられたような感じなので、パチンコ屋はどう遅くても1997年夏までに無くなったと考えられる。
どう遅くても、1997年以前に取り付けられた広告が放置プレイなのは、自明である、
ただ、平成1ケタ台、90年代の広告としても「時代遅れ」感は否定しようがない。
パチンコ台の「フィーバー」機が普及し始めた80年代、昭和60年代でさえ、「紳士の憩い場」なんて雰囲気からは遠く、ただのギャンブル場のイメージしかなかったのですから。
看板に記される2ケタの電話番号が、皮肉にも時代を表してしまう形になってしまっている。
大阪の市内局番の推移は以下の通りである。
3ケタ化は1962年2月4日から。
全面4ケタ化は1999年1月1日午前2時。
おいおい、看板は1962年以前のものかよ。少なくとも52年経過してしまっている。字体も1960年代、1950年代の雰囲気を漂わせている。
改札前のボロボロな案内図のような、骨董品のようなものになってしまっている。
ただ、ボロボロになるのをまかせても、実用には影響がない案内図とは違って、ベンチはそれなりにメンテナンスをしないと50年も持たないと思えるので、南海が定期的にメンテナンスをして持たせているものと考えられる。
広告板としての意味なんて、パチンコ屋が現存しないのだから、意味はない。
電話番号体系が変わっているので、放置プレイにして残しておいても、間違い電話の元にもならない。
昭和レトロとして、意識的に遺していると考えるのが筋のように思える。

オートバックスは、通常営業でした。
撮影当日はタイヤ祭り。
ありふれた日常です。
ポツンと時間が停まってしまっているかのような、レトロ感いっぱいの汐見橋駅については、これでおしまいです。
「阪神優勝だぁ」と道頓堀に許されない飛び込みをしやがった輩、「さやねぇだぁ」と胸に飛び込むことを許されない輩、難波の高島屋や心斎橋の大丸、道頓堀やアメリカ村などへ向かう面々、船場の繊維街等へ向かう勤め人…の多くは、用がないのでやってこない。
オリックスバファローズの本拠地で、高校野球開催時には阪神タイガースの試合も行われる京セラドーム大阪に向かう客の多くも、駅の配置からやってこない。京セラドーム大阪の地盤問題から、縦ノリが発生する恐れが高いコンサートは開催されなくなったので、「さやねぇ」がありえないばかりか、「まゆゆ」も「さしこ」も「じゅりな」もありえない。ももクロもありえない…この辺をわざわざ書く必要はない。
縦ノリが発生しにくいSMAP、嵐、KAT-TUN、サザンオールスターズ、福山雅治、EXILEなどの公演は普通に行われるが、客のほとんどは大阪環状線の内側にまでは歩いてこない。難波に向かう者は阪神なんば線に乗ってしまうので「汐見橋、What?」でおしまい。
周辺住民が、汐見橋支線を使う場合しか使われそうもないところに、代用路線が厳然としてあるので、存在感が無くなってしまっているのが汐見橋駅である。
阪神高速道路の高架下の反対側にあたる、オートバックス側で見られるかなと思って、そちらにも行ってみた。
オートバックスの店舗前を回ってみたら、店舗の上が青空駐車場のような形になっていた。
車が駐車場へ上がるスロープがあった。
一般に、駐車場そのものへは立ち入り禁止なんてことはありえない。
スロープ前に「立ち入り禁止」とする看板もなければ、プラスチックチェーンのようなものもコーンのようなものもなかった。
そんなことで、スロープを上って、駐車場の中に入ってみた。
午前8時を少し過ぎた時点で、オートバックスはまだ営業開始前だったからか、駐車場にも人の気配はなかった。
線路に面する側に向かったら、眼下にホームが…
しばらく撮影することとなった。
撮影していた間、自分の周りには誰もやって来なかったことも、付け加えておきます。

まずは、ホームの改札方向を撮影してみたもの。
よくある始発駅の光景である。
ホームには、視覚障害者用ブロックが埋め込まれている。これは駅として当然だ。

やってくる電車待ちの客がベンチに座って待っている。
寝ていそうなおばちゃん、スマホに目をやっている女子高生…よくある光景である。
はす向かいの男性…どこぞのサラリーマンかと見えてしまうが、他の写真を合わせて見てみたら、スマホ女子高生と同じ高校の生徒の公算が高いと分かった。
汐見橋支線沿線の高校には、府立泉尾高校、府立西成高校ぐらいしか見当たらないが、HPから泉尾高のシャツは白、西成高のシャツはブルーとわかったので、西成高校の生徒と絞り込めた。

ホームの屋根に取り付けられた標識信号である。
そこに取り付けられた「出発反応標識」と書かれた鉄板が時代の経過を表している。
少なくとも21世紀のものではない。平成のものでもない。

電車がやってきた。2両編成だ。
少なくとも、電車のペイントには古さを感じない。

下車した客が改札口へ向かい、ホームで待っていた客が乗車しようとしていた。

ベンチは、遠くから見るとアングル次第ではいい感じなんだが…
実際には使用に耐えるものではあるが、ビミョーに古さ、経年劣化が出ている。

さっきまで女子高生が座っていたベンチの全体が見えた。
パチンコクイン
紳士の憩い場…
当駅西向いTEL(53)9360
普通は「パチンコ屋なんてねーよ」ぐらいでおしまい。
西向かいにあるのは、オートバックス・なにわ店である。
2014年11月に17周年セールなので、開店は1997年。それも11月あたり。
オートバックスの店舗は、そんなに古さを感じないので、開店のために建てられたような感じなので、パチンコ屋はどう遅くても1997年夏までに無くなったと考えられる。
どう遅くても、1997年以前に取り付けられた広告が放置プレイなのは、自明である、
ただ、平成1ケタ台、90年代の広告としても「時代遅れ」感は否定しようがない。
パチンコ台の「フィーバー」機が普及し始めた80年代、昭和60年代でさえ、「紳士の憩い場」なんて雰囲気からは遠く、ただのギャンブル場のイメージしかなかったのですから。
看板に記される2ケタの電話番号が、皮肉にも時代を表してしまう形になってしまっている。
大阪の市内局番の推移は以下の通りである。
3ケタ化は1962年2月4日から。
全面4ケタ化は1999年1月1日午前2時。
おいおい、看板は1962年以前のものかよ。少なくとも52年経過してしまっている。字体も1960年代、1950年代の雰囲気を漂わせている。
改札前のボロボロな案内図のような、骨董品のようなものになってしまっている。
ただ、ボロボロになるのをまかせても、実用には影響がない案内図とは違って、ベンチはそれなりにメンテナンスをしないと50年も持たないと思えるので、南海が定期的にメンテナンスをして持たせているものと考えられる。
広告板としての意味なんて、パチンコ屋が現存しないのだから、意味はない。
電話番号体系が変わっているので、放置プレイにして残しておいても、間違い電話の元にもならない。
昭和レトロとして、意識的に遺していると考えるのが筋のように思える。

オートバックスは、通常営業でした。
撮影当日はタイヤ祭り。
ありふれた日常です。
ポツンと時間が停まってしまっているかのような、レトロ感いっぱいの汐見橋駅については、これでおしまいです。
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