01/10にお参りした神田明神について
昨日、神田明神にお参りに行った。
「商売繁盛」というか、仕事がうまくいきますように…ということで。
ここで言う仕事は、間違っても「社畜企業の作業」など意味しない。
株式売買益を稼げますように
アフェリエイト収入が激増しますように
ということだ。この収入で生計が立てられるようになれば、当然社畜企業からは距離を置くことになる。社畜企業でどんなに頑張ってみた所で、搾取されるだけだからだ。
しかし、収入面で正副逆転ができていない現状では、渋々、泣く泣く作業をしているだけって屈辱的な状況と化してしまっている。
そんな悲惨すぎる状況を打開しようと、世間体と「正業」で生活が成り立たない現状から、やらざるを得ない、お先真っ暗なサラリーマン稼業を脱する起点とすべく、お参りに行った次第だ。
だが、神田明神に祀られる平将門って人は、「勝負に勝つ」と参拝の対象になっている一方で、風水的な言い方で、たたりを東と南方向に向けているようにも思えてしまう。
大手町・三井物産ビルのそばにある平将門の首塚は、平将門の首を祀っている塚なのであるが、なぜかそこから悪いことが東と南方向に続出しているのである。
東については、山一證券が破たんしたころに散々言われた。永代通り沿いに、破たんした企業が続出したものである。
ビル火災の尖兵となってしまった「白木屋」は東急百貨店日本橋店に姿を変えたものの、客足はパッとせず、結局閉店→取り壊しの運命をたどった。現在はその地に「コレド日本橋」が建っている。
南については、日比谷通りの南端である田町駅周辺に影響が出ている。
それも、東京湾に近いところから順次北上して言っている形だ。
芝浦の三角ビルに本社を構えたカネボウは、その後粉飾決算が発覚してお取り潰しとなってしまった。「カネボウ」のブランドこそ化粧品に残されているものの、「鐘淵紡績→鐘紡→カネボウ」と社名を変更しながら続いた繊維名門企業は消滅した。
OKIの呼称を使っている沖電気は、80年代初頭の半導体工場火災をきっかけに長期低落をたどっている。昨秋の優先株式発行により、「富士通に救済され、消滅する」って道筋が見えてきてしまった。
昨年、意味不明にプリンタ広告をテレビ東京・ワールドビジネスサテライトに出稿していたが、年が変わったら、それらしい時間には富士通の広告に変えられた。分かりやす過ぎる!
三菱自動車の件はあまりにも有名だ。USO800を並べ立てた挙句、トラック・バス部門は独ダイムラーに奪われ、愛知県岡崎工場、岡山県倉敷市の病院が閉鎖に追い込まれた。
核の傘ならぬ、「三菱の傘」で生き永らえてはいるが、三菱重工業や三菱商事、三菱東京UFJ銀行などの社員が三菱自動車を進んで買うとは到底思えないのである。
NECは、2011年1月現在で現在進行形の凋落企業の中では、ここが最大である。
どうも長いこと「望ましくない輩」に蝕まれた結果、どんどん企業の体をなさなくなってしまったと、やっと昨日理解できた。コストアップしてしまう上に、生産性向上に結びつかない、本末転倒なフレックス廃止を十把一絡げにやった理由がなんとなく分かってしまった。
社内の不満を「フレックス廃止」に向けさせ、本質から目をそらさせるためだったのだ。社外へのオフィシャルなコメントは、文字通りのUSO800だった。コミュニケーションが盛んになったのは、2ちゃんねるをはじめとする告発ばかりだ(プッ)。
通信機が売れないのに、告発のトラヒックが増加する、皮肉な現象に見舞われてしまったのだ。
巨悪を温存したまま、悪の原因から目をそらさせる凶行を取ったところで、問題は何も解決されないのだ。
取り潰されたカネボウにしても、消滅待ちのOKIにしても、ISO9001がUSO800に使われた三菱自動車にしても、アウシュヴィッツNECにしても、腐敗の限りを尽くさんとした結果に他ならない。
すでに形がついたカネボウ、OKI、三菱自動車については、多くを語っても仕方がない。
しかし、現在進行形のNECについてはまだ語れる。外資になる直前の日産自動車状態と化している。いや、会社更生法にせざるを得なかったJALにも、民営化したらカスの巣窟とバレてしまった日本郵政にも似ている。腐敗が事業の根幹まで及び出し、企業の体をなさなくなりつつある。JALのように、暴露本が出る日も遠くないだろう。
ルノー・カルロスゴーンが、(京セラ創業者の)稲盛和夫が、小泉純一郎が現れるかどうかは知ったこっちゃないが。
韓国の半日教育、中国の尖閣諸島や南シナ海侵入、ヒトラー・ナチスドイツによるホロコースト(ユダヤ人迫害)、江戸時代の士農工商えた非人の差別政策と何ら変わらない凶行を取ったところで、本質は何ら解決されないのは、歴史を見れば明らかなのです。
首塚のたたりが、東の永代通りと、南の日比谷通りに向かってしまったことを語ってしまった。
しかし、首塚に祀られている平将門は、首塚から日比谷通り・本郷通りを北に1.5kmほど行った、神田明神にも祀られているのである。
神田明神を南に向かえば、現在たたられているとしか言えない田町周辺にたどり着く。このことを改めて書いても仕方がないので省略する。しかし、神田明神から東に向かうと、また祟られている一帯にぶち当たってしまうのである。
お参りを終え、神田明神の鳥居をくぐると、国道17号線があるところに出る。正面には湯島聖堂がある。そこを右に進めば東大へ、左に進めば秋葉原へ出られる。
東大でたたり…と考えたが、学生安保のときに学生募集を1年止めたことぐらいしか思い浮かばない。40年ぐらい昔の話だ。
一方、秋葉原方向に向かうと、ゾッとさせられる光景にぶち当たることになった。国道17号扱いである、神田明神の鳥居前から、神田明神下交差点前までは単純に、地味にマンションが並ぶ一帯だとするにとどまったが、そこから先が怖いところである。
秋葉原の一帯は、休日の昼間は自作パソコン、萌え系、アニメ系、AV系、AKB48劇場等々を目指す客が多数やってくる。裏通りも多数人がやってくるのである。
しかし、「神田明神通り」と称される道だけは、なぜか人通りが少なかったのである。国道17号部分である文京区湯島、千代田区外神田2丁目の部分は、「秋葉原」領域ではないので驚きもしないが、神田明神下交差点以東の外神田1・3丁目の境の道だけは、「秋葉原」にしては死んだ雰囲気が漂っていた。
まず、NECの「クラサバ市場」と称する直営店が見つかった(外神田1-6)。客は、休日にやってこないような法人が相手らしく、閉まっていた。それはいいのだが、こんな死んだような道沿いにわざわざ店を出すなんて、日没電気を絵に描いたようなものだ、と見下す以外になかった。
そこから東に向かうと、2007年9月に閉店したまま放置されている「ラオックス・ザコンピューター館」があるのだが、その手前には、コンピューター館の敷地面積と大差ないようなコインパーキングが、立体でもない形態でデンと存在している。
なんてもったいない! とも思ったが、どうも地上げで更地にしたまではよかったものの、新たにビルを建てる資金が集まらないのでコインパーキングでお茶を濁しているって考えると筋が通る。
「ラオックス・ザコンピューター館」の閉鎖された建物も悲しかった。2007年に取り付けられたままと分かる、「一太郎2007」の広告がそのまま残されていた。「Windows Vista対応」と記されていたが、今では当然遺跡扱いだ。
たぶん…なのだが、「ラオックス・ザコンピューター館」「コインパーキング」がある千代田区外神田1-7の土地全てを使って、再開発ビルを建てようとしているものの、資金が調達できない上、外神田1-7にはほかにひとつ雑居ビル(丸伊ビル)も残っているので、放置プレイを余儀なくされているって気配がする。
もう少し東に向かうと。中央通りの交差点が。電車男での映像が頭に浮かぶ。
実は、神田明神通りは、秋葉原無差別殺傷犯である派遣社員・加藤智大が、レンタカー会社から借りたトラックで最後に暴走した道なのである。NECクラサバ市場前、ザコンピューター館前を過ぎ、中央通り交差点で人をはねたあと、ソフマップ本店1Fに入居しているマクドナルド前にトラックを停めた後、ダガーナイフでの凶行に及んだのである。
もしかして…なのだが、平将門って、東方に負のものを集める力も発揮しているのかもしれない。
コンピューター館がにぎわったのもわずかで、その運営者であるLAOXは経営不振に陥り、中国資本の軍門に下ってしまった。経営者に問題があって、戦略がとれず、負け組になってしまったってことだ。
NECの直営店(?)は、「負の引力に吸い込まれて出店してしまった」とする以外にない。
無差別殺傷事件を起こしてしまった加藤智大は、わざわざこの地にやってきて凶行に及んだ。
恐ろしい。
その一方で、本社をこの地から逃がした日本通運(港区汐留へ)は、宅配便の「ペリカン便」撤退という幸運を得ている。「ペリカン便」は収益悪化で「ゆうパック」と事業統合し、日本郵政に買収させた形になり、「ペリカン便」ブランドは消滅に至った形だが、事業統合での大トラブルで「ゆうパック」そのものが危なくなってしまった。
結果的に、この地を逃れて正解だってことになってしまった。
神田明神にお参りをして、その後ついでに秋葉原に行ったら、むしろ恐ろしいことが分かってしまった。
平将門って、ホワイトホールとブラックホールの集合体なのかと。お参りするものには幸福をもたらす一方、加藤智大被告やLAOX、NECのような望ましくない人物、組織を吸い寄せる事実もある。首塚のたたりで象徴的な山一證券も、東京駅前のビル(現・みずほ証券本店が入居するところ)から、永代通り沿いのビルに転居してから破たんに至ったのだ。
平将門って、劇薬のようだ。
幸いに、自宅は神田明神・首塚の東方ではない。神田明神・首塚の南方にあたる日比谷通り方向にもない。「商売繁盛」がやってくるといい。
しかし、社畜企業は日比谷通りの北風がやってくる。こんなところとは縁を切っても十二分に生活できるようにしないと、身を滅ぼすことになってしまうのだ。
「商売繁盛」というか、仕事がうまくいきますように…ということで。
ここで言う仕事は、間違っても「社畜企業の作業」など意味しない。
株式売買益を稼げますように
アフェリエイト収入が激増しますように
ということだ。この収入で生計が立てられるようになれば、当然社畜企業からは距離を置くことになる。社畜企業でどんなに頑張ってみた所で、搾取されるだけだからだ。
しかし、収入面で正副逆転ができていない現状では、渋々、泣く泣く作業をしているだけって屈辱的な状況と化してしまっている。
そんな悲惨すぎる状況を打開しようと、世間体と「正業」で生活が成り立たない現状から、やらざるを得ない、お先真っ暗なサラリーマン稼業を脱する起点とすべく、お参りに行った次第だ。
だが、神田明神に祀られる平将門って人は、「勝負に勝つ」と参拝の対象になっている一方で、風水的な言い方で、たたりを東と南方向に向けているようにも思えてしまう。
大手町・三井物産ビルのそばにある平将門の首塚は、平将門の首を祀っている塚なのであるが、なぜかそこから悪いことが東と南方向に続出しているのである。
東については、山一證券が破たんしたころに散々言われた。永代通り沿いに、破たんした企業が続出したものである。
ビル火災の尖兵となってしまった「白木屋」は東急百貨店日本橋店に姿を変えたものの、客足はパッとせず、結局閉店→取り壊しの運命をたどった。現在はその地に「コレド日本橋」が建っている。
南については、日比谷通りの南端である田町駅周辺に影響が出ている。
それも、東京湾に近いところから順次北上して言っている形だ。
芝浦の三角ビルに本社を構えたカネボウは、その後粉飾決算が発覚してお取り潰しとなってしまった。「カネボウ」のブランドこそ化粧品に残されているものの、「鐘淵紡績→鐘紡→カネボウ」と社名を変更しながら続いた繊維名門企業は消滅した。
OKIの呼称を使っている沖電気は、80年代初頭の半導体工場火災をきっかけに長期低落をたどっている。昨秋の優先株式発行により、「富士通に救済され、消滅する」って道筋が見えてきてしまった。
昨年、意味不明にプリンタ広告をテレビ東京・ワールドビジネスサテライトに出稿していたが、年が変わったら、それらしい時間には富士通の広告に変えられた。分かりやす過ぎる!
三菱自動車の件はあまりにも有名だ。USO800を並べ立てた挙句、トラック・バス部門は独ダイムラーに奪われ、愛知県岡崎工場、岡山県倉敷市の病院が閉鎖に追い込まれた。
核の傘ならぬ、「三菱の傘」で生き永らえてはいるが、三菱重工業や三菱商事、三菱東京UFJ銀行などの社員が三菱自動車を進んで買うとは到底思えないのである。
NECは、2011年1月現在で現在進行形の凋落企業の中では、ここが最大である。
どうも長いこと「望ましくない輩」に蝕まれた結果、どんどん企業の体をなさなくなってしまったと、やっと昨日理解できた。コストアップしてしまう上に、生産性向上に結びつかない、本末転倒なフレックス廃止を十把一絡げにやった理由がなんとなく分かってしまった。
社内の不満を「フレックス廃止」に向けさせ、本質から目をそらさせるためだったのだ。社外へのオフィシャルなコメントは、文字通りのUSO800だった。コミュニケーションが盛んになったのは、2ちゃんねるをはじめとする告発ばかりだ(プッ)。
通信機が売れないのに、告発のトラヒックが増加する、皮肉な現象に見舞われてしまったのだ。
巨悪を温存したまま、悪の原因から目をそらさせる凶行を取ったところで、問題は何も解決されないのだ。
取り潰されたカネボウにしても、消滅待ちのOKIにしても、ISO9001がUSO800に使われた三菱自動車にしても、アウシュヴィッツNECにしても、腐敗の限りを尽くさんとした結果に他ならない。
すでに形がついたカネボウ、OKI、三菱自動車については、多くを語っても仕方がない。
しかし、現在進行形のNECについてはまだ語れる。外資になる直前の日産自動車状態と化している。いや、会社更生法にせざるを得なかったJALにも、民営化したらカスの巣窟とバレてしまった日本郵政にも似ている。腐敗が事業の根幹まで及び出し、企業の体をなさなくなりつつある。JALのように、暴露本が出る日も遠くないだろう。
ルノー・カルロスゴーンが、(京セラ創業者の)稲盛和夫が、小泉純一郎が現れるかどうかは知ったこっちゃないが。
韓国の半日教育、中国の尖閣諸島や南シナ海侵入、ヒトラー・ナチスドイツによるホロコースト(ユダヤ人迫害)、江戸時代の士農工商えた非人の差別政策と何ら変わらない凶行を取ったところで、本質は何ら解決されないのは、歴史を見れば明らかなのです。
首塚のたたりが、東の永代通りと、南の日比谷通りに向かってしまったことを語ってしまった。
しかし、首塚に祀られている平将門は、首塚から日比谷通り・本郷通りを北に1.5kmほど行った、神田明神にも祀られているのである。
神田明神を南に向かえば、現在たたられているとしか言えない田町周辺にたどり着く。このことを改めて書いても仕方がないので省略する。しかし、神田明神から東に向かうと、また祟られている一帯にぶち当たってしまうのである。
お参りを終え、神田明神の鳥居をくぐると、国道17号線があるところに出る。正面には湯島聖堂がある。そこを右に進めば東大へ、左に進めば秋葉原へ出られる。
東大でたたり…と考えたが、学生安保のときに学生募集を1年止めたことぐらいしか思い浮かばない。40年ぐらい昔の話だ。
一方、秋葉原方向に向かうと、ゾッとさせられる光景にぶち当たることになった。国道17号扱いである、神田明神の鳥居前から、神田明神下交差点前までは単純に、地味にマンションが並ぶ一帯だとするにとどまったが、そこから先が怖いところである。
秋葉原の一帯は、休日の昼間は自作パソコン、萌え系、アニメ系、AV系、AKB48劇場等々を目指す客が多数やってくる。裏通りも多数人がやってくるのである。
しかし、「神田明神通り」と称される道だけは、なぜか人通りが少なかったのである。国道17号部分である文京区湯島、千代田区外神田2丁目の部分は、「秋葉原」領域ではないので驚きもしないが、神田明神下交差点以東の外神田1・3丁目の境の道だけは、「秋葉原」にしては死んだ雰囲気が漂っていた。
まず、NECの「クラサバ市場」と称する直営店が見つかった(外神田1-6)。客は、休日にやってこないような法人が相手らしく、閉まっていた。それはいいのだが、こんな死んだような道沿いにわざわざ店を出すなんて、日没電気を絵に描いたようなものだ、と見下す以外になかった。
そこから東に向かうと、2007年9月に閉店したまま放置されている「ラオックス・ザコンピューター館」があるのだが、その手前には、コンピューター館の敷地面積と大差ないようなコインパーキングが、立体でもない形態でデンと存在している。
なんてもったいない! とも思ったが、どうも地上げで更地にしたまではよかったものの、新たにビルを建てる資金が集まらないのでコインパーキングでお茶を濁しているって考えると筋が通る。
「ラオックス・ザコンピューター館」の閉鎖された建物も悲しかった。2007年に取り付けられたままと分かる、「一太郎2007」の広告がそのまま残されていた。「Windows Vista対応」と記されていたが、今では当然遺跡扱いだ。
たぶん…なのだが、「ラオックス・ザコンピューター館」「コインパーキング」がある千代田区外神田1-7の土地全てを使って、再開発ビルを建てようとしているものの、資金が調達できない上、外神田1-7にはほかにひとつ雑居ビル(丸伊ビル)も残っているので、放置プレイを余儀なくされているって気配がする。
もう少し東に向かうと。中央通りの交差点が。電車男での映像が頭に浮かぶ。
実は、神田明神通りは、秋葉原無差別殺傷犯である派遣社員・加藤智大が、レンタカー会社から借りたトラックで最後に暴走した道なのである。NECクラサバ市場前、ザコンピューター館前を過ぎ、中央通り交差点で人をはねたあと、ソフマップ本店1Fに入居しているマクドナルド前にトラックを停めた後、ダガーナイフでの凶行に及んだのである。
もしかして…なのだが、平将門って、東方に負のものを集める力も発揮しているのかもしれない。
コンピューター館がにぎわったのもわずかで、その運営者であるLAOXは経営不振に陥り、中国資本の軍門に下ってしまった。経営者に問題があって、戦略がとれず、負け組になってしまったってことだ。
NECの直営店(?)は、「負の引力に吸い込まれて出店してしまった」とする以外にない。
無差別殺傷事件を起こしてしまった加藤智大は、わざわざこの地にやってきて凶行に及んだ。
恐ろしい。
その一方で、本社をこの地から逃がした日本通運(港区汐留へ)は、宅配便の「ペリカン便」撤退という幸運を得ている。「ペリカン便」は収益悪化で「ゆうパック」と事業統合し、日本郵政に買収させた形になり、「ペリカン便」ブランドは消滅に至った形だが、事業統合での大トラブルで「ゆうパック」そのものが危なくなってしまった。
結果的に、この地を逃れて正解だってことになってしまった。
神田明神にお参りをして、その後ついでに秋葉原に行ったら、むしろ恐ろしいことが分かってしまった。
平将門って、ホワイトホールとブラックホールの集合体なのかと。お参りするものには幸福をもたらす一方、加藤智大被告やLAOX、NECのような望ましくない人物、組織を吸い寄せる事実もある。首塚のたたりで象徴的な山一證券も、東京駅前のビル(現・みずほ証券本店が入居するところ)から、永代通り沿いのビルに転居してから破たんに至ったのだ。
平将門って、劇薬のようだ。
幸いに、自宅は神田明神・首塚の東方ではない。神田明神・首塚の南方にあたる日比谷通り方向にもない。「商売繁盛」がやってくるといい。
しかし、社畜企業は日比谷通りの北風がやってくる。こんなところとは縁を切っても十二分に生活できるようにしないと、身を滅ぼすことになってしまうのだ。
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