★★1366芸能ネタばかりになってしまった、07日の寄り

昨日、自宅で大原麗子さんが亡くなったことが明らかになった。
享年62歳だった。

大原さんがピークだったのは昭和の時期。詳しくは分からないが、1970年代がピークだったのだろう。

女優の大原麗子さん、自宅で死亡...死後2週間以上
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090806-00000982-yom-ent

大原さんのピークのことで、先日頭によぎったことを思い出した。

名古屋から中央本線に沿う形で東上した先日、

日本のピークは昭和50年代だったんじゃないか

って思えてきてしまった。NHK-FMの午後1時台の番組で、70年代後半から80年代前半の歌謡曲を流す番組を聴き、そんなことが頭をもたげることになった。

番組で流される曲は、昭和50年代前半の資生堂vsカネボウのCMソングをはじめ、ミノルタ、JALなどCMソングが並んでいた。

  • 資生堂vsカネボウのCMソング
    1970年代後半から80年代前半に掛け、3ヶ月に1回のペースでCMが作られ、採用された曲が大ヒットした。しかし、その3ヵ月ごとのCMに効果が薄くなったことで自然消滅となった。
    たぶん頂点は1978年夏の矢沢栄吉「時間よ止まれ」サーカス「Mr.サマータイム」になるはず。

その際、久米宏と松田聖子の名前を連想せざるを得なくなった。

  • 久米宏と日立のピーク
    当時久米が司会していた番組「ザ・ベストテン」「ぴったしカン・カン」のスポンサーに、ともに日立が名を連ねていた。
    「ぴったしカン・カン」の放送開始は1975年「ザ・ベストテン」の放送開始は1978年である。日立の営業利益のピークは1980年代前半だ。
    久米宏はその後ニュースステーションへ。
    久米が社員だったTBSは当時の栄光など微塵も感じられず、日立も輝きがない。
  • 松田聖子がデビュー
    デビュー曲の発売日は1980/4/1。
    「青い珊瑚礁」「夏の扉」「赤いスイートピー」「Sweet Memories」など発表から4半世紀を経過した曲が多数あるが、
    色あせ感なんて余り感じない。
    松田聖子ほどの存在感がある人は、その後現れていない。財津和夫や松任谷由実をはじめ、当時の才能を集結させた
    結果が彼女の存在感につながっているかと思うが、くしくも日本のピークアウトを象徴する存在になってしまっている。

昭和50年代って時代は、「努力すれば報われる」時代だった。
だから、おとなは一生懸命働き、子供は一生懸命勉強したのだ。

しかし、昭和60年代に差し掛かるとバブルによる地価暴騰によって持ち家が絶望的になりーの、バブル崩壊後の賃下げで生活が厳しくなりーの…ってジワジワと日本が衰退の方向に向かうのと同時に、国民生活も厳しさを増してきている。
昭和後期に「貧困」なんて言葉は無縁だったが、いまでは当たり前に。

昭和50年代当時は、会社や役所を無事定年まで勤め上げれば一生安泰だったはずだが、今では定年退職で路頭に迷わされる感じに。

いやな時代だ。定年になったら死んでくれ、って言われている感じがする。これでは長寿世界一である現状の余生を、ホームレスで送れとやっているようなものだ。

昭和のピークを代表する松田聖子の本名・蒲池法子の「法子」をそのまま芸名に使った酒井法子(本名をそのまま芸名として使っている)は依然として消息不明。
昭和の大スターと、平成のスター。コントラストに複雑な感じを持ってしまいます。

◇ ◇ ◇

きょうの東京株式については、国内の市場参加者が休みに入り出している事もあって、大した動きはありそうもないと思います。今朝のカキコは以上です。

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Author:プラチナヒルズ
黄海…もとい後悔三国(中華人民共和国、大韓民国、朝鮮民主主義共和国)は反日で構わないが、プロパガンダで貶めるから嫌いです。
原発は放射性廃棄物の無害化技術が実用化されたら賛成に回ります。

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