紋別駅はどこ?鉄道の形跡が意識しにくい・戦後復興期から時間が止まったかのような紋別
昭和の末に、東海道新幹線の線路が通過する愛知県岡崎市出身の岡村孝子(56)が、「あなたの夢をあきらめないで」なんてCMソングを書いていた。
平成の末に、一宮市出身、岡崎市から家出したクズ(21)が、「平成悪夢の無差別殺傷事件の日」の翌日に「東海道新幹線車内で無差別殺傷事件」を起こしやがった。「あなたの夢をあきらめないで」を否定するのは勝手だが、国家権力に殺してもらうための「無差別殺傷事件」には怒りしか感じない。
オホーツク海が望めてしまう、網走郊外の鱒浦駅の続きを書こう、書こうと思いながら10週間以上経過してしまった。
生産的活動に時間を取られるなら仕方ないが、「生きてる価値がない」クズの拡大自殺に付き合わされる非生産的時間に足を引っ張られて時間を潰される被害の方が大きく、やっていられない。
自分的には、「東海道新幹線車内で無差別殺傷事件」には関係ないが、クズからの被害とまとめてしまうと、似たものと化してしまう。
10週間の間、なんとか、日没後には恐怖を感じる北舟岡駅(北海道)、勉強しろと恐怖を感じる(?)堺駅(大阪府)は書けたが、どちらも新ネタではない。やっと時間がとれたので書ける形。長かった。

まずは、網走から紋別へ向かう道中で撮影した、牧場というか、牧草地の間を抜ける道からの写真。
この日はちょうど雨模様だったので、白い空に濡れた路面なんて絵面になっている。
「網走から紋別へ向かう道中」なんてあいまいな書き方しかできないのは、オホーツク国道238号線をストレートに向かわず、途中でわき道に何度も入ってしまったから。オホーツクのどこぞとするのが精いっぱい。

紋別のホテルで一泊した翌朝、近くを歩いてみた。
写っている「税理士事務所」とわかったところのように、新しめの家屋がないわけではないが、基本的に年季の入った建物が並んでいる。
ゾウの人形・サトちゃんが2体置かれた薬局、ほくでん(北海道電力)、介護ショップ…真冬の風雪で外壁や塗装が傷みやすいのはしょうがないとしても、推定50年以上の建物比率が高過ぎる。
それから、ビルの広告看板が取り外された後の鉄骨も痛々しい。
「白松メディカルクリニック」の看板が外された後らしく、紋別市のホームページにある病院一覧にも「白松メディカルクリニック」の名前がないことから、閉鎖された後とわかる形。
紋別市の長期衰退の様が、この1枚だけでも分かってしまう。

いかにも栄華の跡と感じさせられる、飲み屋街の外れ。
撮影地点の少し先を横切る形の「はまなす通り」は、飲み屋街そのものの光景となっていた。
この飲み屋街、太平洋戦争の復興期から時間が止まっているように映ってしまった。


紋別本町郵便局は、ごくごく普通の、築浅の建物で営業していた。
それはそれでいいのだが、隣の廃墟と化した建物に唖然としてしまった。
まず、道路に面する側が、赤いカラーコーンと、プラスチック製のバーで取り囲まれて、近づかれないようにする形にされていたところに、「頭上注意」なんて警告板が置かれた形。それも、置いた主が「網走建設管理部」「網走土木現業所」なんて、いかにもお役所とわかる代物。
歩道とわかるよう高くしたところをすべて使わせないようにして、車道を歩かせていいのか? なんて大都市での概念で思わされるが、ここはクルマの往来なんて頻繁にありそうもないので、これが現実解としてよさそう。
もしこの廃墟が、"幹線道路沿いではない"限界集落の一角にあるものだったら、「頭上注意」だの、「赤いカラーコーンとプラスチック製のバーで取り囲む」だのすることなく、放置して崩壊に任せるだけと思える。
それにしても、「市街案内図」に堂々と名前を出していた店が消滅し、人気もなく、朽ちるに任せて取り壊されもしないままにされているところに、長期衰退が止まらない街の悲しい姿が現れていると思うしかないのである。
この街から鉄道があったのは1989年4月30日までなので、「鉄道」では今日的には無関係になってしまうが、廃墟と化したふとん屋の跡があまりにも強烈なので、書く形になってしまったのでした。
平成の末に、一宮市出身、岡崎市から家出したクズ(21)が、「平成悪夢の無差別殺傷事件の日」の翌日に「東海道新幹線車内で無差別殺傷事件」を起こしやがった。「あなたの夢をあきらめないで」を否定するのは勝手だが、国家権力に殺してもらうための「無差別殺傷事件」には怒りしか感じない。
オホーツク海が望めてしまう、網走郊外の鱒浦駅の続きを書こう、書こうと思いながら10週間以上経過してしまった。
生産的活動に時間を取られるなら仕方ないが、「生きてる価値がない」クズの拡大自殺に付き合わされる非生産的時間に足を引っ張られて時間を潰される被害の方が大きく、やっていられない。
自分的には、「東海道新幹線車内で無差別殺傷事件」には関係ないが、クズからの被害とまとめてしまうと、似たものと化してしまう。
10週間の間、なんとか、日没後には恐怖を感じる北舟岡駅(北海道)、勉強しろと恐怖を感じる(?)堺駅(大阪府)は書けたが、どちらも新ネタではない。やっと時間がとれたので書ける形。長かった。

まずは、網走から紋別へ向かう道中で撮影した、牧場というか、牧草地の間を抜ける道からの写真。
この日はちょうど雨模様だったので、白い空に濡れた路面なんて絵面になっている。
「網走から紋別へ向かう道中」なんてあいまいな書き方しかできないのは、オホーツク国道238号線をストレートに向かわず、途中でわき道に何度も入ってしまったから。オホーツクのどこぞとするのが精いっぱい。

紋別のホテルで一泊した翌朝、近くを歩いてみた。
写っている「税理士事務所」とわかったところのように、新しめの家屋がないわけではないが、基本的に年季の入った建物が並んでいる。
ゾウの人形・サトちゃんが2体置かれた薬局、ほくでん(北海道電力)、介護ショップ…真冬の風雪で外壁や塗装が傷みやすいのはしょうがないとしても、推定50年以上の建物比率が高過ぎる。
それから、ビルの広告看板が取り外された後の鉄骨も痛々しい。
「白松メディカルクリニック」の看板が外された後らしく、紋別市のホームページにある病院一覧にも「白松メディカルクリニック」の名前がないことから、閉鎖された後とわかる形。
紋別市の長期衰退の様が、この1枚だけでも分かってしまう。

いかにも栄華の跡と感じさせられる、飲み屋街の外れ。
撮影地点の少し先を横切る形の「はまなす通り」は、飲み屋街そのものの光景となっていた。
この飲み屋街、太平洋戦争の復興期から時間が止まっているように映ってしまった。


紋別本町郵便局は、ごくごく普通の、築浅の建物で営業していた。
それはそれでいいのだが、隣の廃墟と化した建物に唖然としてしまった。
まず、道路に面する側が、赤いカラーコーンと、プラスチック製のバーで取り囲まれて、近づかれないようにする形にされていたところに、「頭上注意」なんて警告板が置かれた形。それも、置いた主が「網走建設管理部」「網走土木現業所」なんて、いかにもお役所とわかる代物。
歩道とわかるよう高くしたところをすべて使わせないようにして、車道を歩かせていいのか? なんて大都市での概念で思わされるが、ここはクルマの往来なんて頻繁にありそうもないので、これが現実解としてよさそう。
もしこの廃墟が、"幹線道路沿いではない"限界集落の一角にあるものだったら、「頭上注意」だの、「赤いカラーコーンとプラスチック製のバーで取り囲む」だのすることなく、放置して崩壊に任せるだけと思える。
それにしても、「市街案内図」に堂々と名前を出していた店が消滅し、人気もなく、朽ちるに任せて取り壊されもしないままにされているところに、長期衰退が止まらない街の悲しい姿が現れていると思うしかないのである。
この街から鉄道があったのは1989年4月30日までなので、「鉄道」では今日的には無関係になってしまうが、廃墟と化したふとん屋の跡があまりにも強烈なので、書く形になってしまったのでした。
スポンサーサイト