「町」の中心駅だが、その面影いまいずこ…愛別駅その2
農協と間違えそうな風情で
中に入ったら、撤去するまでもないので残ってしまったベンチと、「広告跡パネル」がある待合室
必要最小限のメンテナンスはされているようではあるが、時の流れに身をまかせるしかなかった姿が、JR愛別駅の駅舎に現れてしまっている。
時の流れに身をまかせ…テレサ・テンかよ?
なんてボケてもしょうがない。
「時の流れに身をまかせ」で押し通してしまおう。
JR愛別駅その1の続きです。
国鉄最終年度の昭和六十一年度(1986年度)にヒットしたのが「時の流れに身をまかせ」なる歌である。
JR愛別駅の駅舎にポスターに、さすがに「日本国有鉄道」のものは残されていない。「JR北海道」のものが貼られていた。しかし、駅舎や待合室は「時の流れに身をまかせ」がHBCやSTVのラジオから流され始める前の時代へタイムスリップしたかのようだった。
入場券を買わなくても、ホームに立てる無人駅のような駅へ行った場合、とりあえずホームに立ってみることにしている。
JR愛別駅でも、そのルーチンに従い、ホームに向かってみた。

まず、ホームで写した写真である。
いくら無人駅とはいえ、立派な現役の駅である。
それなりに人手が加えられていることが、風雨等でグチャグチャにされそうな上り線ホームの砂利が、きれいに敷かれている姿からわかる。
線路は、北見・網走方面への特急を筆頭に、列車の運行に使用されている現役なので、無人駅であるかどうかに関係なく整備されていなければならない。
この写真で一番大事なのは、駅舎側の下り線ホームから、上り線ホームへ掛けられる跨線橋である。
いつ作られたものなのかは判然としない。
ただ、国土地理院が提供する、1974~78年に撮影された空中写真・衛星画像では、跨線橋らしき構造物は確認できないため、この写真撮影以降に取り付けられたものと推定できる。たぶんだが、JR発足前竣工でしょう。
※跨線橋
「陸橋」と言い換えられること多し

上り線ホームから、待合室からホームに出るドアの写真である。
乗降客などが、ドア開閉などでどこを触っていったか、荷物などがぶつかったの積み重ねがわかってしまう。
ドアノブ(取っ手)にはサビが出にくいようメッキが掛けられるものだが、ドアそのものは鉄板にペンキが塗られる程度がせいぜいだ。
それから、ドアノブは交換しやすいつくりにもなっている。
そんなことで、ドアノブはダメになりにくいのか、交換された結果新しくなっているかの判断はできないが、使いにくい、サビていたなどの記憶は残っていない。
ドア上に取り付けられている【愛別駅】のプレートは、めぐるめぐるよ時代はめぐる…なんて中島みゆきを思い出すまでもない程度なのだが、ドアにサビが噴き出している姿には、老朽化の姿を感じざるを得ないのだった。
サビが噴き出たドアの右に、サビの気配が見受けられない、アルミ製のようなドアもあるが、これは2003年3月31日まで簡易委託で駅員が窓口にいた跡と思われる。今では、その窓口が物置にされているのか、がらんどうで放置されているのか…管理者じゃないので知る由もない。
無人駅、それもかつて友人だった駅にありがちな風情が、愛別駅にあったのだった。
中に入ったら、撤去するまでもないので残ってしまったベンチと、「広告跡パネル」がある待合室
必要最小限のメンテナンスはされているようではあるが、時の流れに身をまかせるしかなかった姿が、JR愛別駅の駅舎に現れてしまっている。
時の流れに身をまかせ…テレサ・テンかよ?
なんてボケてもしょうがない。
「時の流れに身をまかせ」で押し通してしまおう。
JR愛別駅その1の続きです。
国鉄最終年度の昭和六十一年度(1986年度)にヒットしたのが「時の流れに身をまかせ」なる歌である。
JR愛別駅の駅舎にポスターに、さすがに「日本国有鉄道」のものは残されていない。「JR北海道」のものが貼られていた。しかし、駅舎や待合室は「時の流れに身をまかせ」がHBCやSTVのラジオから流され始める前の時代へタイムスリップしたかのようだった。
入場券を買わなくても、ホームに立てる無人駅のような駅へ行った場合、とりあえずホームに立ってみることにしている。
JR愛別駅でも、そのルーチンに従い、ホームに向かってみた。

まず、ホームで写した写真である。
いくら無人駅とはいえ、立派な現役の駅である。
それなりに人手が加えられていることが、風雨等でグチャグチャにされそうな上り線ホームの砂利が、きれいに敷かれている姿からわかる。
線路は、北見・網走方面への特急を筆頭に、列車の運行に使用されている現役なので、無人駅であるかどうかに関係なく整備されていなければならない。
この写真で一番大事なのは、駅舎側の下り線ホームから、上り線ホームへ掛けられる跨線橋である。
いつ作られたものなのかは判然としない。
ただ、国土地理院が提供する、1974~78年に撮影された空中写真・衛星画像では、跨線橋らしき構造物は確認できないため、この写真撮影以降に取り付けられたものと推定できる。たぶんだが、JR発足前竣工でしょう。
※跨線橋
「陸橋」と言い換えられること多し

上り線ホームから、待合室からホームに出るドアの写真である。
乗降客などが、ドア開閉などでどこを触っていったか、荷物などがぶつかったの積み重ねがわかってしまう。
ドアノブ(取っ手)にはサビが出にくいようメッキが掛けられるものだが、ドアそのものは鉄板にペンキが塗られる程度がせいぜいだ。
それから、ドアノブは交換しやすいつくりにもなっている。
そんなことで、ドアノブはダメになりにくいのか、交換された結果新しくなっているかの判断はできないが、使いにくい、サビていたなどの記憶は残っていない。
ドア上に取り付けられている【愛別駅】のプレートは、めぐるめぐるよ時代はめぐる…なんて中島みゆきを思い出すまでもない程度なのだが、ドアにサビが噴き出している姿には、老朽化の姿を感じざるを得ないのだった。
サビが噴き出たドアの右に、サビの気配が見受けられない、アルミ製のようなドアもあるが、これは2003年3月31日まで簡易委託で駅員が窓口にいた跡と思われる。今では、その窓口が物置にされているのか、がらんどうで放置されているのか…管理者じゃないので知る由もない。
無人駅、それもかつて友人だった駅にありがちな風情が、愛別駅にあったのだった。
スポンサーサイト