三鷹電車庫跨線橋下を通過したあずさ20号
2016年6月17日16時過ぎ、武蔵境のあたりから、JR中央線の線路に沿って、吉祥寺へと向かった。
そのうち、鉄道車両基地の前についてしまった。
三鷹車両センターだった。そこには中央・総武緩行線の車両、東京メトロ東西線に乗り入れる車両が留められていた。
その車両センターの西はずれから、吉祥寺へ向かわんとする道すがら、古くなった鉄橋に出くわすこととなった。
自動車やスクーターの類は走行しようがない人道橋だ。
鉄橋は、ビルの3階ないし4階の高さで架けられていた。
三鷹車両センターに留められる、車両の数々でもデジカメで撮影していこうと、上がってみた。
この人道橋は、主に地元民の徒歩往来に使われている感じだった。
あとで名前を調べたら、「三鷹電車庫跨線橋」である。1929年に造られているので、築87年の跨線橋。
この跨線橋は、徒歩で歩く分にはとくに怖さを感じない一方、橋の南側の手すり限定で「橋を全力疾走して誤って手すりにぶつかってしまったら転落死になりそう」な怖さを感じる。
この橋の上をジョギング程度で通過する人は珍しくないとは思うが、全力疾走する者なんて、警察官に追いかけられる泥棒の類しかいないと思える。
この橋に上り、線路を見たらこのときは、高校生らしき鉄っちゃん2人組が、一眼レフ/スマホのレンズを立川方向(西方向)に向けていた。
よくある光景だなぁ…と思いみていたところ、立川方面から白い電車がやってくるではないかい。そんなことで、デジカメを動画モードにして撮影してみた。
その場では「特急らしい」としかわからなかったが、後で調べたら「あずさ20号」だった。
あいにくの曇天だったので、はるかかなたの富士山を望むこともなければ、夏至近くでは日没まで時間がある午後4時過ぎだったので夕暮れを望むこともなかった。
なお、金網越しにしか撮影できなかったのは、単に跨線橋の構造によるものである。金網なしで映すことは、橋上では不可能に近い。自撮り棒でも使い、カメラを金網越しの高い位置に据えでもしないと、ムリだ。
「撮影しよう」と意気込んでいったわけではなく、たまたま出くわした結果なので、アングルとかがいまいちなのはご勘弁ください。
そのうち、鉄道車両基地の前についてしまった。
三鷹車両センターだった。そこには中央・総武緩行線の車両、東京メトロ東西線に乗り入れる車両が留められていた。
その車両センターの西はずれから、吉祥寺へ向かわんとする道すがら、古くなった鉄橋に出くわすこととなった。
自動車やスクーターの類は走行しようがない人道橋だ。
鉄橋は、ビルの3階ないし4階の高さで架けられていた。
三鷹車両センターに留められる、車両の数々でもデジカメで撮影していこうと、上がってみた。
この人道橋は、主に地元民の徒歩往来に使われている感じだった。
あとで名前を調べたら、「三鷹電車庫跨線橋」である。1929年に造られているので、築87年の跨線橋。
この跨線橋は、徒歩で歩く分にはとくに怖さを感じない一方、橋の南側の手すり限定で「橋を全力疾走して誤って手すりにぶつかってしまったら転落死になりそう」な怖さを感じる。
この橋の上をジョギング程度で通過する人は珍しくないとは思うが、全力疾走する者なんて、警察官に追いかけられる泥棒の類しかいないと思える。
この橋に上り、線路を見たらこのときは、高校生らしき鉄っちゃん2人組が、一眼レフ/スマホのレンズを立川方向(西方向)に向けていた。
よくある光景だなぁ…と思いみていたところ、立川方面から白い電車がやってくるではないかい。そんなことで、デジカメを動画モードにして撮影してみた。
その場では「特急らしい」としかわからなかったが、後で調べたら「あずさ20号」だった。
あいにくの曇天だったので、はるかかなたの富士山を望むこともなければ、夏至近くでは日没まで時間がある午後4時過ぎだったので夕暮れを望むこともなかった。
なお、金網越しにしか撮影できなかったのは、単に跨線橋の構造によるものである。金網なしで映すことは、橋上では不可能に近い。自撮り棒でも使い、カメラを金網越しの高い位置に据えでもしないと、ムリだ。
「撮影しよう」と意気込んでいったわけではなく、たまたま出くわした結果なので、アングルとかがいまいちなのはご勘弁ください。
スポンサーサイト