調べないとウソを並べてそうになる、近鉄四日市駅
去る2014年の年末、名古屋駅から近鉄に乗って、四日市に行った。
実は「四日市に行った」と明確に意識して言えるのは、これが2回目だった。
前回はレンタカーでうすーく行っただけ。
近鉄の方がJRよりでかいぞ.
それだけ。
JRの駅裏は住友電装などの工場地帯である一方、近鉄は街のまん真ん中だから当たり前だろ…
それだけ。
近鉄四日市駅に商業施設が併設されているというより、近鉄百貨店の入口に駅が併設されている感じを受けた。
それだけ。
前回は、東口にちょっと立ち寄った後に、渋滞だらけの四日市インターチェンジへ向かう道を経て、さっさと京都へ行ってしまったので、大した印象は残っていない。京都・北野天満宮に長々といてしまった事の方が記憶に残っている。
改めて四日市へ行った。
こんどは近鉄名古屋線を使って。近鉄四日市駅は、よくある地方都市の中心駅の風情だった。
ただ、うすーく書くだけなら問題にはならない事だが、ちょっと踏み込んで書こうとしたら、沿革・経歴・歴史のようなものをそれなりに読んでおかない、デタラメ・インチキを書いてしまいかねない、ブログネタ的には「取り扱い注意」な駅です。
「四日市駅」とやってしまうと、JRになってしまう。「近鉄」を省略してはいけない…なんて基本だ。
そんな近鉄四日市駅の写真を、淡々と撮ってきたので掲載する形です。


名古屋から近鉄に乗り、四日市で降りた。
さっさとホテルにチェックインしたかったので、そそくさと改札に向かった。
単純に構内を出たら…アレ? ロータリーの気配がない方に出てしまった。
ロータリーがある中央通り側(大阪寄り)ではなく、イメージがなかった名古屋寄りの方へ。
いかにも商業施設の中庭みたいなところに出てしまった。
ここはどこ? って感じになってしまった。
いかにも日本的だが、クリスマス&年末イルミネーションがここでも展開されていた。
撮影当日は、雪が降るかどうかって感じの寒さで、小雨が降っていた。
偶然ではあるが、濡れたタイルにイルミが反射していたのは美しい。
なんとなく思ったのは、11月に行ってしまった東武鉄道の太田駅南口に似ている事。
ただ、太田駅南口のように、「キャバクラ街」が遠くにあるようなことはない。

近鉄四日市駅・西口ロータリー




近鉄四日市駅、内部・八王子線のホーム

東口ロータリー南のバスターミナル

東口ロータリー前の近鉄百貨店
翌朝、西口にあるホテルを出て、近鉄名古屋駅の周りを撮影してみることにした。
当初は、ロータリー周りを撮ればいいっか、ってつもりだったが、西口ロータリーで「高架ではないところに車両がある」とわかったので、そちらにも行ってみた形だ。
地上にあったのは、内部・八王子線のホームだった。
車両を見た印象は、「塗装にカネが掛かっていなさそう」「車幅が細そう」だった。近鉄本線と線路はどこでつながっているんだろうか? って疑問も湧いたが、その場ではそれでおしまい。
実際には、本線の名古屋線が標準軌の1435㎜で、内部・八王子線が特殊狭軌の762㎜であるため、三線軌条にでもしない限りつなぐ意味はない。2015年4月からは、近鉄75%・四日市市25%出資の「四日市あすなろう鉄道」へ経営分離となる。
内部・八王子線の駅名は「近鉄四日市」のまんまでいいのか? の疑問も浮かんできたが、近鉄グループから離脱するわけではないので問題なし。
駅ビルの近鉄百貨店は駅の門をを兼ねているが、ビルの造りから「駅」に見えないのは残念。
街の造りから、「近鉄」が本駅で「JR」がサブであることは否定しようもない。
その理由に仮説を立ててみた際、高度成長期の四日市市街肥大化で、東側が工場群で広がりようがないのが国鉄・四日市駅である一方、西側が田畑だったので住宅地化が進んで「代表駅」が「国鉄→近鉄」に移って行った…としてみたが、これは真っ赤な嘘。近鉄四日市駅は移設があったものの、中心部にあり続けている。ただし、高度成長期の四日市市街肥大化が「近鉄」が本駅なイメージを強めてしまった事は否定しないでいいような気はする。
それから、お話がややこしいのであるが、近鉄四日市駅は、企業統合や線形変更のお話がゴチャゴチャ。
市街地の東外れにに国鉄・四日市駅が作られた(1890年12月)
↓
市街地に近い、現・近鉄四日市駅から東方300mに、近鉄の前身・三重軌道が『諏訪』駅を設けた(1913年9月)
↓
『諏訪』~『現JR四日市』に近鉄の前身・四日市鉄道が延伸(1916年3月)
↓
近鉄の前身・伊勢鉄道が「海山道=『現JR四日市』まで」鉄道敷設(1922年3月)
↓
近鉄の前身・伊勢電気鉄道が「(国鉄)四日市=諏訪=桑名」間を開業した(1929年1月)
↓
近鉄の前身が「桑名=名古屋」間を開業した(1938年6月)
↓
現在の「名古屋線」に統一(1938年12月)
↓
鉄道統合企業「近畿日本鉄道」誕生(1944年6月)
↓
四日市南部の「海山道」~北部の「川原町」間の軌道を、現在のものに変更。
これに伴い、旧線の「海山道~川原町」は廃止。
『諏訪』は移設され、現在の「近鉄四日市」の場所になった(1956年9月)
企業買収の繰り返しで、オリジナルはなんなんだよ…みたいな構図が、近鉄四日市駅の経歴に現れてしまっている。
企業統合の話は、それでも単純に列記して行けば済んでしまうが、『諏訪』で名古屋方面に向かえるようになった1929年1月の箇所は、軌道構成の意味でチンプンカンプンになってしまった。
てっきり、1929年から、現在の軌道になった1956年の間、「諏訪」で「スイッチバック」していたと読み取れそうになってしまったのですから。
ちゃんと調べて書かないと、ウソに引っかかりそうになってしまう近鉄四日市駅のお話は、以上です。
小学校高学年にはややこし過ぎるので、中高生ぐらいの夏休み自由研究みたいだった。
ややこしすぎるので、書いていて疲れました。
実は「四日市に行った」と明確に意識して言えるのは、これが2回目だった。
前回はレンタカーでうすーく行っただけ。
近鉄の方がJRよりでかいぞ.
それだけ。
JRの駅裏は住友電装などの工場地帯である一方、近鉄は街のまん真ん中だから当たり前だろ…
それだけ。
近鉄四日市駅に商業施設が併設されているというより、近鉄百貨店の入口に駅が併設されている感じを受けた。
それだけ。
前回は、東口にちょっと立ち寄った後に、渋滞だらけの四日市インターチェンジへ向かう道を経て、さっさと京都へ行ってしまったので、大した印象は残っていない。京都・北野天満宮に長々といてしまった事の方が記憶に残っている。
改めて四日市へ行った。
こんどは近鉄名古屋線を使って。近鉄四日市駅は、よくある地方都市の中心駅の風情だった。
ただ、うすーく書くだけなら問題にはならない事だが、ちょっと踏み込んで書こうとしたら、沿革・経歴・歴史のようなものをそれなりに読んでおかない、デタラメ・インチキを書いてしまいかねない、ブログネタ的には「取り扱い注意」な駅です。
「四日市駅」とやってしまうと、JRになってしまう。「近鉄」を省略してはいけない…なんて基本だ。
そんな近鉄四日市駅の写真を、淡々と撮ってきたので掲載する形です。


名古屋から近鉄に乗り、四日市で降りた。
さっさとホテルにチェックインしたかったので、そそくさと改札に向かった。
単純に構内を出たら…アレ? ロータリーの気配がない方に出てしまった。
ロータリーがある中央通り側(大阪寄り)ではなく、イメージがなかった名古屋寄りの方へ。
いかにも商業施設の中庭みたいなところに出てしまった。
ここはどこ? って感じになってしまった。
いかにも日本的だが、クリスマス&年末イルミネーションがここでも展開されていた。
撮影当日は、雪が降るかどうかって感じの寒さで、小雨が降っていた。
偶然ではあるが、濡れたタイルにイルミが反射していたのは美しい。
なんとなく思ったのは、11月に行ってしまった東武鉄道の太田駅南口に似ている事。
ただ、太田駅南口のように、「キャバクラ街」が遠くにあるようなことはない。

近鉄四日市駅・西口ロータリー




近鉄四日市駅、内部・八王子線のホーム

東口ロータリー南のバスターミナル

東口ロータリー前の近鉄百貨店
翌朝、西口にあるホテルを出て、近鉄名古屋駅の周りを撮影してみることにした。
当初は、ロータリー周りを撮ればいいっか、ってつもりだったが、西口ロータリーで「高架ではないところに車両がある」とわかったので、そちらにも行ってみた形だ。
地上にあったのは、内部・八王子線のホームだった。
車両を見た印象は、「塗装にカネが掛かっていなさそう」「車幅が細そう」だった。近鉄本線と線路はどこでつながっているんだろうか? って疑問も湧いたが、その場ではそれでおしまい。
実際には、本線の名古屋線が標準軌の1435㎜で、内部・八王子線が特殊狭軌の762㎜であるため、三線軌条にでもしない限りつなぐ意味はない。2015年4月からは、近鉄75%・四日市市25%出資の「四日市あすなろう鉄道」へ経営分離となる。
内部・八王子線の駅名は「近鉄四日市」のまんまでいいのか? の疑問も浮かんできたが、近鉄グループから離脱するわけではないので問題なし。
駅ビルの近鉄百貨店は駅の門をを兼ねているが、ビルの造りから「駅」に見えないのは残念。
街の造りから、「近鉄」が本駅で「JR」がサブであることは否定しようもない。
その理由に仮説を立ててみた際、高度成長期の四日市市街肥大化で、東側が工場群で広がりようがないのが国鉄・四日市駅である一方、西側が田畑だったので住宅地化が進んで「代表駅」が「国鉄→近鉄」に移って行った…としてみたが、これは真っ赤な嘘。近鉄四日市駅は移設があったものの、中心部にあり続けている。ただし、高度成長期の四日市市街肥大化が「近鉄」が本駅なイメージを強めてしまった事は否定しないでいいような気はする。
それから、お話がややこしいのであるが、近鉄四日市駅は、企業統合や線形変更のお話がゴチャゴチャ。
市街地の東外れにに国鉄・四日市駅が作られた(1890年12月)
↓
市街地に近い、現・近鉄四日市駅から東方300mに、近鉄の前身・三重軌道が『諏訪』駅を設けた(1913年9月)
↓
『諏訪』~『現JR四日市』に近鉄の前身・四日市鉄道が延伸(1916年3月)
↓
近鉄の前身・伊勢鉄道が「海山道=『現JR四日市』まで」鉄道敷設(1922年3月)
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近鉄の前身・伊勢電気鉄道が「(国鉄)四日市=諏訪=桑名」間を開業した(1929年1月)
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近鉄の前身が「桑名=名古屋」間を開業した(1938年6月)
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現在の「名古屋線」に統一(1938年12月)
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鉄道統合企業「近畿日本鉄道」誕生(1944年6月)
↓
四日市南部の「海山道」~北部の「川原町」間の軌道を、現在のものに変更。
これに伴い、旧線の「海山道~川原町」は廃止。
『諏訪』は移設され、現在の「近鉄四日市」の場所になった(1956年9月)
企業買収の繰り返しで、オリジナルはなんなんだよ…みたいな構図が、近鉄四日市駅の経歴に現れてしまっている。
企業統合の話は、それでも単純に列記して行けば済んでしまうが、『諏訪』で名古屋方面に向かえるようになった1929年1月の箇所は、軌道構成の意味でチンプンカンプンになってしまった。
てっきり、1929年から、現在の軌道になった1956年の間、「諏訪」で「スイッチバック」していたと読み取れそうになってしまったのですから。
ちゃんと調べて書かないと、ウソに引っかかりそうになってしまう近鉄四日市駅のお話は、以上です。
小学校高学年にはややこし過ぎるので、中高生ぐらいの夏休み自由研究みたいだった。
ややこしすぎるので、書いていて疲れました。