たまたま裏手に線路があるだけって風情。JR函館本線中ノ沢駅
2013年9月12日、瀬棚町を出た後は、ゆっくりと移動する形だった。
長万部町に入って国縫駅にしばらくいた後、移動して中ノ沢駅へ。
中ノ沢駅に着いたのは、15時50分ぐらいだった。
単純に、国縫駅の次の駅へ向かった形で。
石川さゆりが唄った、「津軽海峡・冬景色」(1977)の先…をイメージするには荒れている。
山川豊が歌った「函館本線」(1981)の歌詞に出てくるイメージなのか? とも思ったが、的外れだった。
線路は北に向かって伸びてゆく
窓の向こうは石狩平野
中ノ沢駅のある場所は石狩平野じゃない。この歌詞では、札幌から旭川方面に向かう列車の車中で、札幌市内、江別市内、岩見沢市内を指してしまうから、この範疇にない中ノ沢駅にはならない。
函館発札幌行きの特急列車で、この歌詞を当てはめてしまうと、終着駅・札幌駅までそう遠くない、白石=苗穂=札幌間になってしまうので、感傷もなにもありようがない…
敢えて函館発札幌行きの特急列車で、石狩平野のままあてはめてしまうと、千歳・恵庭あたりの「千歳線」になってしまうので不適切だ…失礼しました。
中ノ沢駅のあたりは、唄にしようもない一帯だ。
敢えて唄に当てはめるならば、松本隆作詞・大瀧詠一作曲の「さらばシベリア鉄道」(1980太田裕美→1981大瀧詠一)の方があてはまる。
ただ、「さらばシベリア鉄道」が通用するのは、あくまで冬だけ。残暑厳しい時期に行ってしまったので、「さらばシベリア鉄道? ぽかーん」としかならなかった。
線路がなければ、納屋とか小屋とかイメージになってしまう待合室がある、函館本線中ノ沢駅の写真です。


10・11日と江差線の駅を見ていたので、「最小レベルか」と思えるのだが、見ていないと確実に面喰う。
貨車改造駅舎なのだが、塗装のされ方や造りから、駅の待合室っぽくない。

線路をまたいでとなりのホームへ行くところ。
ホームの中に歩行者専用の踏切がある。
1日14本の普通列車のためにあるとはとても考えられない。
駅の時刻表には記されていない、通過していく特急列車や貨物列車へために設けられているのだろうか。
この駅の雰囲気では、線路をまたぐ形の階段通路を設けては割に合わないので、線路に降りる形に通路がなっているとするのが筋と思われる。
隣の国縫駅が、古くなっているが階段通路の形になっているのは、廃止になった瀬棚線の名残なので例外である。
また、踏切の箇所は、かつては2線収容されていたのだが、写真の手前側を残すのみで、反対側は撤去されている。

駅名標も朽ちているが、何もかも朽ちている。
「安全」とタイルで作った壁も剥げ落ち、ブロック塀がさらけ出されるようになってしまっている。


線路がなければ、寒村の小集落にしか見えない。
実際、中ノ沢駅のあたりは小集落である。
踏切を越えたホームから見て左手の大きな建物は民宿で、小屋のような右手の建物が中ノ沢駅の待合室だが、母屋と離れのように思われても不思議さは感じない。

貨車を改造した待合室の隣には、ライダー・自転車ツーリング族向け以外の何物でもない、民宿がある。
ホームで見たときは、この建物が何者か分かっていなかったので、「1200円」の看板に面喰った始末だった。
民宿は外から見ただけ。
ただ、"ふざけるなこんにゃろう"”損害賠償払いやがれ”と激怒させられられる悪徳ボロ宿にはあたらない模様。
寝袋持ち込みで寝ればいい…って造りなので、ライダー的にはこれで十分ということ。
「ホテル」と名乗りやがる異臭漂う「賠償金払いやがれ」室蘭の名ばかりホテルの粗悪簡易宿泊所よりも安く、比較対象とすること自体が失礼なぐらいまともなのは言うまでもない。
この民宿「中ノ沢屋」については、ネットで検索するとライダー・自転車ツーリング族の旅行記ブログがポツポツと出てくる。

待合室からある程度離れたところから撮影したもの。
待合室というより小屋の様相だ。それも野っ原の中に建てられた形の雰囲気になっている。
右手には民宿・中ノ沢屋がある。
★★★★★
中ノ沢駅の写真はこれで終わりです。
この遠景を写した後、居眠り運転の巻き添えが怖い国道5号線を経由して、長万部駅へ向かったのでした。
長万部町に入って国縫駅にしばらくいた後、移動して中ノ沢駅へ。
中ノ沢駅に着いたのは、15時50分ぐらいだった。
単純に、国縫駅の次の駅へ向かった形で。
石川さゆりが唄った、「津軽海峡・冬景色」(1977)の先…をイメージするには荒れている。
山川豊が歌った「函館本線」(1981)の歌詞に出てくるイメージなのか? とも思ったが、的外れだった。
線路は北に向かって伸びてゆく
窓の向こうは石狩平野
中ノ沢駅のある場所は石狩平野じゃない。この歌詞では、札幌から旭川方面に向かう列車の車中で、札幌市内、江別市内、岩見沢市内を指してしまうから、この範疇にない中ノ沢駅にはならない。
函館発札幌行きの特急列車で、この歌詞を当てはめてしまうと、終着駅・札幌駅までそう遠くない、白石=苗穂=札幌間になってしまうので、感傷もなにもありようがない…
敢えて函館発札幌行きの特急列車で、石狩平野のままあてはめてしまうと、千歳・恵庭あたりの「千歳線」になってしまうので不適切だ…失礼しました。
中ノ沢駅のあたりは、唄にしようもない一帯だ。
敢えて唄に当てはめるならば、松本隆作詞・大瀧詠一作曲の「さらばシベリア鉄道」(1980太田裕美→1981大瀧詠一)の方があてはまる。
ただ、「さらばシベリア鉄道」が通用するのは、あくまで冬だけ。残暑厳しい時期に行ってしまったので、「さらばシベリア鉄道? ぽかーん」としかならなかった。
線路がなければ、納屋とか小屋とかイメージになってしまう待合室がある、函館本線中ノ沢駅の写真です。


10・11日と江差線の駅を見ていたので、「最小レベルか」と思えるのだが、見ていないと確実に面喰う。
貨車改造駅舎なのだが、塗装のされ方や造りから、駅の待合室っぽくない。

線路をまたいでとなりのホームへ行くところ。
ホームの中に歩行者専用の踏切がある。
1日14本の普通列車のためにあるとはとても考えられない。
駅の時刻表には記されていない、通過していく特急列車や貨物列車へために設けられているのだろうか。
この駅の雰囲気では、線路をまたぐ形の階段通路を設けては割に合わないので、線路に降りる形に通路がなっているとするのが筋と思われる。
隣の国縫駅が、古くなっているが階段通路の形になっているのは、廃止になった瀬棚線の名残なので例外である。
また、踏切の箇所は、かつては2線収容されていたのだが、写真の手前側を残すのみで、反対側は撤去されている。

駅名標も朽ちているが、何もかも朽ちている。
「安全」とタイルで作った壁も剥げ落ち、ブロック塀がさらけ出されるようになってしまっている。


線路がなければ、寒村の小集落にしか見えない。
実際、中ノ沢駅のあたりは小集落である。
踏切を越えたホームから見て左手の大きな建物は民宿で、小屋のような右手の建物が中ノ沢駅の待合室だが、母屋と離れのように思われても不思議さは感じない。

貨車を改造した待合室の隣には、ライダー・自転車ツーリング族向け以外の何物でもない、民宿がある。
ホームで見たときは、この建物が何者か分かっていなかったので、「1200円」の看板に面喰った始末だった。
民宿は外から見ただけ。
ただ、"ふざけるなこんにゃろう"”損害賠償払いやがれ”と激怒させられられる悪徳ボロ宿にはあたらない模様。
寝袋持ち込みで寝ればいい…って造りなので、ライダー的にはこれで十分ということ。
「ホテル」と名乗りやがる異臭漂う「賠償金払いやがれ」室蘭の名ばかりホテルの粗悪簡易宿泊所よりも安く、比較対象とすること自体が失礼なぐらいまともなのは言うまでもない。
この民宿「中ノ沢屋」については、ネットで検索するとライダー・自転車ツーリング族の旅行記ブログがポツポツと出てくる。

待合室からある程度離れたところから撮影したもの。
待合室というより小屋の様相だ。それも野っ原の中に建てられた形の雰囲気になっている。
右手には民宿・中ノ沢屋がある。
★★★★★
中ノ沢駅の写真はこれで終わりです。
この遠景を写した後、居眠り運転の巻き添えが怖い国道5号線を経由して、長万部駅へ向かったのでした。
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