函館駅の写真・その2
現函館駅を後にして、旧函館駅のあたりを歩いてみたのがこちら。

函館駅舎から南に向かうと、まずは駐車場が広がる。朝市の客などが相手のものだ。それをさらに進むと、船が見えてくる。写真にある摩周丸である。クルマが出入りできるのでは…と思う方もいられそうだが、その通りである。
青函連絡船は、カーフェリーとしても使われていた。

カーフェリーの出入り口だけでは面白くないので、角度を変えて撮ってみた。
船につながるものは、別途取り付けたもののようだ。

船にはしっかり「JNR」と記されている。国鉄が民営化された1987/4には、青函トンネルの開業を1年後に控えていたため、「JR」と塗装をし直さなかったということだろう。

摩周丸の真向かいには、函館本線0マイル地点記念碑が設置されている。現在の駅舎だけでは、この地に旧駅舎があったことなど想像しがたいが、かつては青函連絡船を下船したら、すぐ近くに函館本線の車両に乗り換えられたということだ。
要するに、現在の駅舎ができるまでは、この地に駅舎があったということ。

函館本線0マイル地点記念碑を、角度を変えて撮ってみたもの。
彼方に見える効果は、「ともえ大橋」と命名されてるバイパスもどきの道路である。
その先に、やっと函館駅の駅舎が見える。


連絡船を後にして、すぐ近くの函館朝市に向かったのは言うまでもない。観光客がたくさんいた。

「四色丼」と銘打たれた、海鮮丼を食べて、朝市を後にした。その店では「三色丼」「五色丼」もあるが、それは丼に乗る具の種類のこと。
おいしかった。
池田満寿雄氏(故人、1995年来店)、アンジェラ・アキ、周富徳などの色紙が並んでいたのは、こうした店ではお約束ということで。

函館駅舎から南に向かうと、まずは駐車場が広がる。朝市の客などが相手のものだ。それをさらに進むと、船が見えてくる。写真にある摩周丸である。クルマが出入りできるのでは…と思う方もいられそうだが、その通りである。
青函連絡船は、カーフェリーとしても使われていた。

カーフェリーの出入り口だけでは面白くないので、角度を変えて撮ってみた。
船につながるものは、別途取り付けたもののようだ。

船にはしっかり「JNR」と記されている。国鉄が民営化された1987/4には、青函トンネルの開業を1年後に控えていたため、「JR」と塗装をし直さなかったということだろう。

摩周丸の真向かいには、函館本線0マイル地点記念碑が設置されている。現在の駅舎だけでは、この地に旧駅舎があったことなど想像しがたいが、かつては青函連絡船を下船したら、すぐ近くに函館本線の車両に乗り換えられたということだ。
要するに、現在の駅舎ができるまでは、この地に駅舎があったということ。

函館本線0マイル地点記念碑を、角度を変えて撮ってみたもの。
彼方に見える効果は、「ともえ大橋」と命名されてるバイパスもどきの道路である。
その先に、やっと函館駅の駅舎が見える。


連絡船を後にして、すぐ近くの函館朝市に向かったのは言うまでもない。観光客がたくさんいた。

「四色丼」と銘打たれた、海鮮丼を食べて、朝市を後にした。その店では「三色丼」「五色丼」もあるが、それは丼に乗る具の種類のこと。
おいしかった。
池田満寿雄氏(故人、1995年来店)、アンジェラ・アキ、周富徳などの色紙が並んでいたのは、こうした店ではお約束ということで。
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